写真=本町ふれあい館の外壁に設置された「時の鐘」の解説看板
徳川家康のひ孫、松平光長が高田藩主を務めた約350年前に、高田城下に時刻を知らせるために設置した「時の鐘」を後世に伝えようと、官民でつくる高田開府400年祭実行委員会は1日、上越市本町2のシニアセンター本町ふれあい館に鐘の形をした解説看板を設置した。同センターのある場所は江戸時代、時の鐘があった屋敷の一角だったという。実行委員会は「歴史を知ってほしい」と話している。
時の鐘は光長の母で、徳川秀忠の娘、勝子が1669年(寛文9年)、鍋屋町(現在の東本町5)の鐘屋に鋳造させたもの。鐘は呉服町(本町2)の町年寄、吉田七兵衛の屋敷に設置され、一刻(2時間)ごとに鳴らされた。「お馬出しの辻」近くに屋敷があった吉田家は代々、日時計などで時刻を計り、鐘を鳴らして城下に時刻を知らせたという。明治になって瑞泉寺(南本町3)に移され、現在では市の文化財に指定されている。
看板は実物をヒントに鐘の形をしており、縦、横ともに約120センチ。樹脂などで作られている。この日は木を格子状に組み立て、その上に看板を取り付けた。
実行委員会副会長で市民団体「お馬出しプロジェクト」代表を務める宮越紀袮子さんは「時の鐘があったことを含めてお馬出しの歴史を知り、今後のまちの活性化になれば」と話している。
実行委員会は開府400年祭の5日、瑞泉寺を含む計12の寺で釣り鐘を一斉に鳴らす取り組みを行う。時刻は正午と午後2時の2回。