写真=「葡萄王」川上善兵衛訪問記を自費発行した池墻忠和さん
上越市上雲寺の池墻(いけがき)忠和さん(69)はこのほど、冊子「『葡萄王』川上善兵衛訪問記」を自費発行した。1911年(明治44年)に岡倉天心の長男で高田新聞記者だった岡倉一雄(俳号・谷人)、同市高田にスキーを伝えたオーストリア・ハンガリー帝国の軍人、レルヒ少佐ら3人が同市北方の岩の原葡萄園や同園創業者で「日本のワインぶどうの父」と呼ばれる川上善兵衛を訪ねたことが紹介されている。
池墻さんはこれまで、上越市立総合博物館学芸員や新潟産業大で非常勤講師などを務めてきた。「身近な善兵衛さんについて、少しでも書き残せておけたら」と今回の発行に至ったという。
このうち、レルヒ少佐が同葡萄園を訪問したことについては12ページにまとめた。昨年11月、池墻さんと交流のある同市の斎藤医院、斎藤元院長が自身の北方の実家を整理した際、善兵衛や葡萄園に宛てた数多くのはがきが出てきたことを池墻さんに連絡。はがきは過去、川上家の関係品を地元の住人たちがそれぞれ保管していたものという。
その中にはレルヒ少佐が書いたとされるサイン絵はがき2枚があった。うち1枚には「日本の葡萄園への丁寧な歓迎の親愛なる思い出のために」という言葉と「24・9月 1911」の日付が記されていた。冊子にははがきの写真も掲載されている。池墻さんは「善兵衛さんが明治44年9月24日に岩の原葡萄園を訪問したことに間違いない」。ただ、2人が実際に面会したのかは不明で、「レルヒ少佐の来園について善兵衛さんの心境をぜひとも知りたかった。調べた範囲では関係資料は出てこなかったのが残念」と池墻さん。「レルヒ少佐の葡萄園訪問は岩の原葡萄園、地元高士地区の人たちはもっと誇りに思ってよいのでは」と話している。
発行部数は200部。地元小中学校や高田図書館、関係機関に贈られるほか、希望者にも配布する。問い合わせは池墻さん528・4314。